【東洋哲学と死生観】

こんにちは、Dr.K(ドクターコージ)です。
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最近東洋医学や氣について
勉強したり修練したり
しております。
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その一環で
孔子の儒家
老子の道家
そして死生観などについて
改めて学ぶ機会がありました。
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より深く理解されている方から見ると
乱暴に見えたり浅薄に見えたり
することも多いかと思いますが、
備忘録代わりに
簡単に整理してみましたので、
共有させて頂きますね。
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特に日本の各宗教の信者の方達は
宗派で教えられる細かい死生観と
違うところもあるかと思いますが、
今回は儒家思想、道家思想を軸に
本来の各宗教の思想について
まとめたのでご了承下さい。
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ご自身の死生観の確認や、
日本に影響を与えている思想の歴史を
簡単に復習する手助けになれば幸いです。
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日本における思想にも深く
影響を与えている儒家思想、道家思想ですが、
成立した時代や背景を知ると、
これまでのイメージとは
また違った姿が見えたりします。
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また死生観についても、
現代日本で漠然とある観念は、
実は様々な思想が混ざりあった
独自の概念であることも分かってきます。
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孔子や老子が活躍したのは、
紀元前500年前後の春秋戦国時代。
中国大陸は広大な農業地帯でしたが、
周囲の民族からの襲撃の危険が高く、
強力な統一政権が求められており、
都市国家から領域国家と言う体制へと
移行しつつある時代。
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当時の政治とは、
秩序を作り人民を支配すること。
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鉄器の発明により生産性が上がり
余暇が出来た農民は立身出世を願い、
軍人や官僚になろうとする人が増え、
ふさわしい知識と行動規範を
伝え教える必要が出てきたため、
教育を受けた農民の代表が農民を統治する、
と言う科挙と呼ばれるシステムが作られました。
細かい内容について気になる方は
ぜひ調べてみて下さい。
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儒家思想において、
血縁者、祖先、親を敬う「孝」
統治者「皇帝」への服従「忠」
と言う概念が特に重視されたのも、
反抗心の無い忠実な官僚や軍人を育成する為。
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儒家思想とは、
「如何に生きるか」
「死した後に後世にどう見られるか」
と言うところに注目した倫理哲学です。
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その様ななかで、
老子は「無為自然」として
自然を重視することを強調します。
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日本人にとっても自然は大切であり、
自然に寄り添い抗おうとしない生き方は
とても共感できるものですが、
この「自然」と言う言葉の概念が、
古代中国と日本とではかなり異なるんです。
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中国人にとって自然とは
「統治の及ばない場所」であり、
「人為的都市空間」の対極としての概念です。
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実際に古代中国の平原の多くは
日本の様な原生林や里山などはほとんど無く、
荒野の中に城壁に囲まれた都市国家が点在する
と言う状況でした。
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政争に疲れ果てたり脱落した人達が
統治の及ばない世界で
忖度無く自由に生きるのが「無為自然」であり、
儒家の作った統治システムから脱落した人の
精神的受け皿となりました。
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そして「死生観」も全く異なります。
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儒家思想は「死」にほとんど触れません。
死ねば祖先と同列として「孝」の対象となり
廟の中から子孫を見守ると言う程度です。
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日本では仏壇の必需品である「位牌」は
そもそも儒家の霊廟に飾られた物が
仏教に取り込まれ、
日本の「家制度」のアイテム「仏壇」と
一体化したものです。
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インド仏教には、
「輪廻転生」と言う概念があります。
死ぬと再び現世に別の形で生まれ変わる、
と言うのが「輪廻転生」ですので、
「死者の国」は存在しませんが、
行いの悪い人達が転生する先として
「地獄」と言う概念は存在しますが、
転生先としての並行世界と言う感じで、
「死者の国」と言う存在ではありません。
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道家思想では
人は死ぬと「鬼」になると言われます。
「鬼籍に入る」と言う言葉の語源ですね。
鬼となった人達は
現世の律令制度に類似した仕組みの下で
閻魔大王の支配下に生きるとし、
「死者の国」としての「地獄」を描きます。
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ですから道教寺院においては、
「死者の国」にいる父祖へ「冥銭」を
焼いて送ると言う風習が残っています。
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ちなみに西洋では古代エジプトに
「死者の国」と言う概念がありましたが、
それに反発したユダヤ教は徹底した唯物論で
その様な「死者の国」と言う存在を否定し
死ねば土に還るとしました。
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キリスト教とイスラム教では
「死者の復活」と言う概念が加わりましたが、
復活までの間は唯一絶対神の管理下にあり、
「死者の国」は存在しないと言うのが
もともとの認識です。
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日本の「古事記」「日本書紀」には
地中にある「黄泉の国」が
「穢れた」死者の国として描かれており
「自然の一部である神」も死ぬとともに
「神も穢れを畏れる」のが特徴です。
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そして神道には「祟り」と言う概念があります。
本来仏教は「善意」「慈悲」を原理としており、
「祟り」と言う概念は存在しませんので、
日本における「タタリ神」の概念は
神道由来と言うことになります。
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仏教では本来、
両親を捨て家を離れ出家し、
集団生活をしながら悟りを目指す修行を
行うことが普通に行われていました。
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インドでは出家僧集団は
政治に関与しない代わりに自治権を認められ
在家信者から敬われていますが、
儒家思想からしてみると、
父祖を捨て出家すると言うコト自体が
「孝」の否定に繋がると言うことで
受け入れることは出来ませんでした。
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そのため仏教寺院は歴代王朝に管理され、
出家も許可制となりました。
そして仏教経典が中国語訳されていきましたが、
中国社会の価値観に合うように創作された物も多く、
現存する中国語仏教経典の1/3は
創作された「偽経」と言われています。
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この様な動きに刺激されて、
道家思想から作られた「道教」でも経典が創作され、
儒学や朱子学へ大きな影響を与えました。
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中国仏教では、
出家者は儒家思想の血縁関係から切り離され、
法名を師匠から授けられ師弟関係が
儒家の血縁関係の代わりとなりました。
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日本仏教のおいて位牌に書かれる「戒名」は
この出家者に授けられる法名が
変化した物と言われています。
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人が死んだ後の儀式についても、
古代中国では儒家式と道家式で
行われることが殆どで、
仏教では世俗のこととして
本来は葬儀に関わりませんでした。
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唯一、禅宗では
血縁や家族を捨て法名を師匠より授かった
出家修行者の死者に対して葬儀が行われ、
元々の血縁者とは関係のない
所属する寺の墓に埋葬されました。
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実はこの禅宗式の葬儀が日本に伝わり、
全宗派が一般人に対して禅宗式葬儀を行い、
寺院の敷地内の墓に入る様になった
と言われています。
お寺の敷地内の墓は大元は
出家僧の為のものだったんですね。
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「自然を司る神々を祀る神道」と
「世界の真理を悟る道である仏教」とは
本来は全く別物なのですが、
日本ではお互いの欠点を補う様に
組み合わせれたので、
大変ややこしいことになっています。
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例えば「死者は仏になる」と日本では言われます。
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そもそも原始仏教では
「真理を悟ると仏になり輪廻転生から解脱できる」
と言う概念しか無く、
死んだら別存在として転生するとされており、
悟った人しかなれない仏に死者がなる、
などと言うことはあり得ないことでした。
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「死して神になる(こともある)」と言う
神道の概念における
「神」が「仏」にすり替わった
と言う説もあります。
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儒家思想においては本来
「神」と言う存在は考えず、
人間関係のみに注目しており、
人の生死を統括するのは政治だとします。
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そして人の生死について
政治では拾い上げ切れないことを
理論化したのが道家思想です。
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道家思想においては、
現世の最上位は「天」
地獄の最上位は「閻魔」
でありその他にも
様々な役割を持つ神がいる
とされています。
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中国歴代王朝における、
「天命」を受けた為政者と言う考えに
道家思想が影響していたんですね。
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ちなみに
現代中国の中国共産党は
模範としたマルクス・レーニン主義が
官僚主義かつ政治中心主義である為に、
儒家思想はとても相性が良かったので
儒家思想を取り入れるとともに、
「孔子」と言うブランドを使いますが、
死生観の無い儒家思想を補う
道家思想の様な存在は拒絶されており、
民間思想のひとつとして存在しているだけです。
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為政者に都合が悪い場合に
躊躇なく国民の命を奪うのは、
「生死は政治が統括する」と言う
儒家思想の影響もあったんですね。
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「死」について
人類が長年かけて体系化した思想をまとめると、
死後に人はどうなるかと言うことについては、
・現世に別の存在として生まれ変わる(インド仏教式)
・「鬼」となり律令制のある「地獄」で暮らす(道家思想式)
・土に還り無となる(ユダヤ教式)
・復活の日まで唯一絶対神の下で管理される(キリスト/イスラム教式)
・一定期間修行を行いあの世(天国/地獄)で暮らす(日本仏教式)
・一定期間修行を行い一族の守り神となる(日本神道式)
と言う感じになります。
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現代日本における宗教思想や死生観は、
様々な要素が混ざり合っているんですね。
様々な漫画や映画などの世界観も、
こういう伝統的な思想を参考にして
作られているものが多いので、
元ネタを想像してみるのも
面白いかも知れませんね。